魔法の力を借りなくても・・・・
今朝のテレビで、アニメ監督の米林宏昌さんが最新作「メアリと魔女の花」について語っておられました。
監督は20年在籍した「スタジオジブリ」と「宮崎駿」をこよなく愛し、この2つの大きな魔法の中で守られていた。しかしジブリから独立した今は、これを乗り越えなければとの思いもあり、魔法の力をなくしても闘う勇気を失わなかった主人公メアリにご自身を重ねているとのことでした。
「魔法の力を借りなくても、自分の中にある力を使って生きていく・・」、これは今を生きることを願う監督の決意なのでしょう。私にとっても今の自分を振り返った印象的な言葉でした。
大事な人を自死で亡くした苦しい日々、私を支えてくれたのは人生の師や本から得た言葉であったり、友人のさりげない支えや自死遺族の人たちとの出会いでした。
しかし米林監督の言葉から気づいたのですが、当初一番大きな支えだったのは姿は見えなくなったけれど、亡き人との特別なつながりがあるんだとの魔法を自分にかけていたことだったような気がします。
死別直後の激しい慟哭の3年間、1年に一度真冬の2月にベランダを訪れる「メジロ」に亡き人を重ねていました。
最初の年にベランダに飛んできたメジロはやっと飛べるようになったばかりの子どもでした。ベランダの手すりで一休みし親鳥(?)の後を追いかける姿にこれから先、無事に生きていけるのだろうかと心配で胸が張り裂けそうでした。あの子を亡くして1年たたない頃のことです。か弱く儚げな子どものメジロの姿に亡き子が重なって見えました。
その1年後、再びベランダを訪れたメジロは落ち着いた様子でベランダのプランターの土をつつき、しばらく遊んで飛んでいきました。
「母さん僕は元気だよ」そんな風にあの子が語りかけているような気持ちになり、その日私は幸せでした。
そのまた1年後、メジロはやってきました。ベランダを眺めている私の目の前、距離は10㎝もありませんでした。ガラス窓を挟んで目と目とが合ってしばらく見つめ合う。どうしてこんなに近づいて私を見つめるの?と、驚きのあまり心臓は高鳴り、震えが止まりませんでした。家人がやってくるその直前にメジロは遠くに飛んでいきました。あのメジロは亡き子に違いないと思う一方、亡き子ではなくても、彼の想いをメジロが伝えにきたに違いないと感じました。
苦しみのあまり縮んでいた背筋がスッと伸びるような厳粛で爽やかで暖かな不思議な気持ちになり、辛くても生きていこうと思いました。あの子は私が生きていくことを願っている、後を追ってはならないのだ、それを確信した瞬間でした。
メジロは果たして本当に飛んできていたのか。それとも生と死の狭間に漂よっていたあの頃の私が見た幻だったのか。年に一度のメジロとの出会いをじっと待つ、それが私の生きる支えになっていたことは事実です。
4度目のメジロとの再会はありませんでしたが、これで良いのだと思いました。辛くても、納得はできなくても、あの子の死を私なりに受けとめたのです。
真っ暗闇の世界にいるからこそ、針の先ほどの小さな灯りを見つけて、何とか苦しい日々を凌いでいたのだと思います。
生きがいを見失った苦しみ、スピリチュアル ペインを何が支えてくれるのか。
人により異なるのだとは思いますが・・・。私は自分を奮い立たす魔法(亡き人とのつながり)を探し続けて生きていたんだと気づきました。
メジロを見ても苦しかった1年目、メジロを見たことでほっとした2年目、メジロを見たことに特別の意味があると感じた3年目。
その当時はずっととどまっているように感じていたあの頃の苦しみ。
振り返ってみれば、グリーフは必ず変化していくことをしみじみと感じた朝でした。
NPO法人グリーフケア・サポートプラザ 公式ウェブサイト

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監督は20年在籍した「スタジオジブリ」と「宮崎駿」をこよなく愛し、この2つの大きな魔法の中で守られていた。しかしジブリから独立した今は、これを乗り越えなければとの思いもあり、魔法の力をなくしても闘う勇気を失わなかった主人公メアリにご自身を重ねているとのことでした。
「魔法の力を借りなくても、自分の中にある力を使って生きていく・・」、これは今を生きることを願う監督の決意なのでしょう。私にとっても今の自分を振り返った印象的な言葉でした。
大事な人を自死で亡くした苦しい日々、私を支えてくれたのは人生の師や本から得た言葉であったり、友人のさりげない支えや自死遺族の人たちとの出会いでした。
しかし米林監督の言葉から気づいたのですが、当初一番大きな支えだったのは姿は見えなくなったけれど、亡き人との特別なつながりがあるんだとの魔法を自分にかけていたことだったような気がします。
死別直後の激しい慟哭の3年間、1年に一度真冬の2月にベランダを訪れる「メジロ」に亡き人を重ねていました。
最初の年にベランダに飛んできたメジロはやっと飛べるようになったばかりの子どもでした。ベランダの手すりで一休みし親鳥(?)の後を追いかける姿にこれから先、無事に生きていけるのだろうかと心配で胸が張り裂けそうでした。あの子を亡くして1年たたない頃のことです。か弱く儚げな子どものメジロの姿に亡き子が重なって見えました。
その1年後、再びベランダを訪れたメジロは落ち着いた様子でベランダのプランターの土をつつき、しばらく遊んで飛んでいきました。
「母さん僕は元気だよ」そんな風にあの子が語りかけているような気持ちになり、その日私は幸せでした。
そのまた1年後、メジロはやってきました。ベランダを眺めている私の目の前、距離は10㎝もありませんでした。ガラス窓を挟んで目と目とが合ってしばらく見つめ合う。どうしてこんなに近づいて私を見つめるの?と、驚きのあまり心臓は高鳴り、震えが止まりませんでした。家人がやってくるその直前にメジロは遠くに飛んでいきました。あのメジロは亡き子に違いないと思う一方、亡き子ではなくても、彼の想いをメジロが伝えにきたに違いないと感じました。
苦しみのあまり縮んでいた背筋がスッと伸びるような厳粛で爽やかで暖かな不思議な気持ちになり、辛くても生きていこうと思いました。あの子は私が生きていくことを願っている、後を追ってはならないのだ、それを確信した瞬間でした。
メジロは果たして本当に飛んできていたのか。それとも生と死の狭間に漂よっていたあの頃の私が見た幻だったのか。年に一度のメジロとの出会いをじっと待つ、それが私の生きる支えになっていたことは事実です。
4度目のメジロとの再会はありませんでしたが、これで良いのだと思いました。辛くても、納得はできなくても、あの子の死を私なりに受けとめたのです。
真っ暗闇の世界にいるからこそ、針の先ほどの小さな灯りを見つけて、何とか苦しい日々を凌いでいたのだと思います。
生きがいを見失った苦しみ、スピリチュアル ペインを何が支えてくれるのか。
人により異なるのだとは思いますが・・・。私は自分を奮い立たす魔法(亡き人とのつながり)を探し続けて生きていたんだと気づきました。
メジロを見ても苦しかった1年目、メジロを見たことでほっとした2年目、メジロを見たことに特別の意味があると感じた3年目。
その当時はずっととどまっているように感じていたあの頃の苦しみ。
振り返ってみれば、グリーフは必ず変化していくことをしみじみと感じた朝でした。
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