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自死(自殺)遺族支援のための認定NPO法人グリーフケア・サポートプラザ

大切な人を自死(自殺)でなくし ひとり孤独でいる時 望みを絶たれ先が見えない時 いつでもどうぞ 自死遺族支援をしているNPO法人です

2021年05月 | ARCHIVE-SELECT | 2021年07月

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ユー レイズミー アップ

歌詞に気持ちをシンクロさせ、それが生きる支えになることがあります。
振りかえると私も折々に支えられた歌がありました。

死別して間もないころ、静寂が耐えられず何か音を流していないと不安でいられませんでした。
その時にいつも聞いていたのはラジオのNHK第1放送。
アナウンサーの落ち着いた低めの声がざわざわしてどうしようもない気持ちを落ち着けてくれていました。
気持ちの変化につれて聴く曲もさまざまに変化していきましが、死別後間もないころ慰めになったのは森山良子が歌う賛美歌集。
あの頃の私の心はこの世とは違う世界を漂っていたのかもしれません。

深い悲しみを抱く遺族の友が生きる力が湧いてくると最近教えて下さった曲は、「ユー レイズミー アップ」。
いろんな方が歌っているようですが、ユーチューブでMartin Hurkensが街の片隅で歌っているのが一番好きなのだとか。
私も何人かの歌手で聴いてみましたが、彼の穏やかな歌声が一番心に届き、慰められます。街の人々が立ち止まって聴いている表情にも心が温まります。

Martin Hurkens - You Raise me Up (L1 TV, www.L1.nl)

子供のころから大好きだったピアノをもう長い間弾いていません。
ピアノも処分してしまいました。
すべてが終わったのだから何も必要ない。あの子の死で私の人生も終わった。そんな絶望の中で過ごしていたのです。

それがYou Raise me Upを聴いた時、自分の為にこの曲を弾きたいと思いました。
今からピアノを購入するのは難しいでしょうが・・。

どんなに苦しくても、希望を見失っても、何とか生きていれば、いつか気持ちは変容していく。
再び、少し生きてみようと思えるときはやってくるのだとしみじみ感じます。

苦しい日々をお過ごしかもしれません。どうぞご自分をお大切に。(by  なすび)

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| スタッフ日記 | 07:16 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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支え

早いもので、もう6月も終盤を迎えました。皆様、いかがお過ごしでしょうか。

今まで、10年間勤めてきた仕事。最後の1年は、気がすすまないながらも、なんとか気を保ちつつ続けてきましたが、もう限界を感じてしまい、今年の3月に辞職しました。

勤め先も慰留しなかったところをみると、このご時世で、私の申し出は渡りに船だったのかもしれません。

昨年あたりから、ライフワークだった自分のやりたいことを、こつこつながら、本格的にやり始めたいということもあり、このまま仕事に流されていいのかなという思いも強かったので、辞めたことに後悔はありません。

けれども、この10年間に仕事をやり尽くしたのか、今はバーンアウトの状態に陥っています。

それに、自分のやりたいことと言っても、それを発信するには、まだ茫洋としていて、どのような形で世の中に表現していくのか、暗中模索の状態でもあります。

今の空模様のように鬱々として漠としたなか、唯一支えになっているのが、意外にも亡くなった夫の存在であることに、今さらながら気づきました。

当時は、誰のために何のために生きてきたのか、その支えを外されてしまい、こうしておけばよかったああしておけばよかった、ということしか考えがまわらなかった。

わたしなんかがおめおめと生きていていいのか、そう思った日々もあった。子どもみたいに手がかかった夫だけに、亡くなった後、何を支えに生きていけばいいのか、宙ぶらりんの自分もいました。

でも、気づけば、いつの間にか、亡くなった夫が支えになって、思うところを何かの形でもよいからやってみようと思うようになっている。

多分、これからいろいろとあるだろうし、前途多難だと思うけど、夫の存在があるからこそ、何とかやっていけそうな気がします。(by れもん)
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| スタッフ日記 | 03:50 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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7月のオンライン茶話会

いかがお過ごしでしょうか?
梅雨で鬱陶しい日々を何とか凌いでおられるかもしれません。

一人で耐えず頑張りすぎず、同じ体験をしている人々と心の痛みを分かち合う時間を持つことで、少しだけ気分が落ち着くこともあるかもしれませんし、その後を生きて行く何らかのヒントがあるかもしれません。
茶話会はそのような場になることを願い、毎月第一土曜日に開催して十数年が過ぎました。
コロナ禍の現在はオンライン茶話会として開催しています。

7月の茶話会はズーム(ZOOM)アプリを使用し、オンラインで実施します。
ご自宅でお好きな飲み物をいただきながら、心置きなくお話しできる時間になりますように。

開催日時:2021年7月3日(土)午後2時~3時30分
開催場所:ウェブ上のオンライン会議室。参加希望の方にのみURLを茶話会当日13時30分ごろに事務所からの送信メールでご連絡します。
参加条件:自死遺族の方に限定します。

※使用する端末(パソコン・スマートフォン等)に、予めZOOMアプリをダウンロードして、ご参加ください。
※参加費:無料
※その他:・予約制(10名くらい)です。

※メールのタイトルに「オンライン茶話会参加希望」と記入し、グリーフケア・サポートプラザの事務所までメールでお申込みください。
事務所のメールアドレス grief.care.sp@luck.ocn.ne.jp
折り返しこちらから確認のメールをいたします。

    ・申し込み期限:7月1日(木)17時まで(先着順)。
詳細はホームページでご確認ください。
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| スタッフ日記 | 04:57 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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サウダーデ

街歩きを紹介するテレビ番組で、複雑な感情を表現する「サウダーデ」という言葉がポルトガル語にあることを知りました。

ポルトガルの民衆のこころの歌、魂の歌と言われるファドはサウダーデという感情を大事に歌い上げる歌で、それは言葉で表現することが難しい複雑な感情なのだと街の人が語っていました。

テレビのインタビュー中では、ファドもう戻らない昔を思い出しつつ歌うと紹介されていました。
でも、昔を思い出して悲しむ、悔やむのではなく、かけがえのない思い出を大切に今を生きるところにファドの真髄があるのだそう。日本の演歌とは少しニュアンスが異なるようです。
ファドとは運命、または宿命を意味するそうで、運命を悲しみ、嘆きつつも、今を生きる人の歌ともいえるのでしょうか。

そういえば随分と昔、ファドが好きで、リスボンまで何度か一人旅していると言っておられた方のことを思い出しました。
息子さんを亡くされた方でした。
亡き人への思いや自死遺族になった自分の感情を一言で言い表すことは難しい。
失った悲しみ、運命への嘆きもあれば、
出会えた喜び、共に生きた日々への感慨もあり、
亡き人への愛おしさと共に、絶望的な喪失感の中を生き抜いてきた自分への労わりの気持ちも湧いてくる。

長い年月を振り返りつつその間のすべての感情が入り混じった気持ち=サウダーデをファドを聴くことであの方は癒しておられたのかもしれません。
悲しみを抱えつつもその後を生きて行くための慰めと励まし、癒しの時間を、異国への一人旅で味わっておられたのかもしれません。(by なすび)

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| スタッフ日記 | 08:19 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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ユリの花

百合

「ユリの花が咲いている。ユリの花は、バラとともに「天国の花」を意味し、命や光の象徴として宗教画にも多く描かれてきた。
その生命力は絶大で、切り花にしても、すべてのつぼみが咲き終わるまでしおれることはない。
「栄華を極めた王でさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった」と言われるユリの花は神様の愛の象徴となっている。
天国で大好きだったユリとバラの花に囲まれて、天に召された母は安らいでいるのだ。と思うと救われる。byヒソプ」

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| スタッフ日記 | 05:34 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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6月の分かち合いの会

いかがお過ごしでしょうか?
爽やかな季節になっても、気持ちはなぜか晴れない。そんな日々を何とか凌いでおられるかもしれません。

一人で耐えず頑張りすぎず、同じ体験をしている人々と心の痛みを分かち合う時間を持つことで、少しだけ気分が落ち着くこともあるかもしれませんし、その後を生きて行く何らかのヒントがあるかもしれません。

分かち合いの会がそのような場になることを願い、毎月第3日曜日に開催して十数年が過ぎました。
コロナ禍の現在は感染対策を徹底し、少人数の予約制で開催しています。

開催日時:2021年6月20日(日)午後2時~4時
開催場所:東京メトロ千代田線  「乃木坂」駅下車 徒歩6分
     認定NPO グリーフケア・サポートプラザ 事務所 ( ホームページに地図掲載)
参加条件:自死遺族の方に限定します。


1.事前にグリーフケア・サポートプラザ事務局にメールで予約をお申込みください。
申込締切:6月18日(金)午後5:00*定員に達し次第、締め切らせていただきます。
メールアドレス:grief.care.sp@luck.ocn.ne.jp  
・件名:分かち合いの会 参加申し込み
・本文:氏名(ニックネームも可)、日中に連絡可能な電話番号(急遽中止の場合の為)
※後日、予約受付の返信をいたします。

詳細はホームページでご確認ください。
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| スタッフ日記 | 02:55 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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あの日の私に

雨の日が続くとふと思い出すことがあります。
それが梅雨の頃のことだったのか、秋の長雨だったのかは憶えていないのですが、遺族となってそれほど月日は経っていなかったと思います。
天気のせいもあり、もともと引きこもり気味だったのがさらに家から出ることがなくなって、
ずぶずぶと泥沼に引き込まれるような感覚を「これではいけない」とある時思ったのです。

何が「これではいけない」のでしょう?
もうどうなったっていいではないですか。それだけのことが起こったのです。

けれど私はぼろぼろの心のどこかに残っていた気力を振り絞って、久しぶりに身支度を整え、
電車とバスを乗り継いで出かけました。
何の用事もありません。けれど一つだけ思いついたのが「良い香りのお線香を買おう」ということでした。
帰宅時の混雑も始まった駅、自分以外の人は皆「普通」に見えました。
普通の人達、普通の世界。同じ場所にいるのに私だけ違う人種のようでした。
あの人ごみの中の強烈な疎外感、孤独感は、今もかすかに残っている感覚です。

それから予定通りラベンダーの香りのお線香を買って帰宅しました。
辛さは減ることはなかったけれど、久しぶりに駅ビルの中のお店を覗いたり、何より自分の足で歩くことは
少しだけ「気分」を変えたのです。
この気分を変えることの大切さは、今も実感するところです。
無理せず出かけること(近所でも、遠出でも)を心がけて過ごしています。

あの日、私の中の何が出かけさせたのでしょうか?
何が気力を振り絞らせたのでしょうか?
「本能」というものでしょうか?時々不思議に思うことの一つです。
いずれにせよ、あの日の私は今日の私に繋がっているのです。

遺族の日々はそれぞれ。
それぞれの過ごし方で、春、夏、秋、冬を迎え、そして見送ります。
アジサイのきれいな季節になりました。
それほど有名ではないけれど、知る人ぞ知るといった感じのこじんまりとしたアジサイ寺に、今年も行ってみようと思っています。
時おりの「一人遠足」です。 (パンジー)
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| スタッフ日記 | 20:05 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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紫陽花いろのもの

紫陽花の花が咲く季節になりました。紫陽花を見ると、三好達治のこの詩を思い出します。

乳母車    
母よ―
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき波樹のかげを
そうそうと風のふくなり

時はたそがれ
母よ 私の乳母車を押せ
泣きぬれる夕陽にむかって
轔々と私の乳母車を押せ

赤い総ある天鳶絨の帽子を
つめたき額にかむらせよ
旅いそぐ鳥の列にも
季節は空を渡るなり

淡くかなしきもののふる
紫陽花いろのもののふる道
母よ 私は知ってゐる
この道は遠く遠くはてしない道

この世に生を受けたということは、いずれは死ぬべき運命をも共に授けられたということ。死に至る道、いや死後の道のりすら、いずれ親元を離れ、自分で歩まねばならない。乳母車を押すということは、自分では歩めぬ子の歩みを助けながら、負わねばならぬ運命の道への後押しをもすることになってしまう。けれども、その道をどう生きるかは、もう自分自身のこと。生と死が交錯する道にふるのは、淡くかなしきもの、紫陽花いろのもの。この詩には、読み手によって、いろいろな解釈があるのだろうけど、淡くかなしきもの、紫陽花いろのものが、母の慈悲の心のように思われて、読むたびに、なつかしいようなかなしみに、涙がこぼれそうになります。旅立った後にも、その紫陽花いろのものは、淡くかなしいものだけど、決して色あせることなく、やさしくふりつづける。この詩は前から知っていましたが、自死遺族の方々のお話をお聴きしてから、この詩から母の深い慈悲の心がかなしいほどに沁みわたりました。季節の変わり目です。皆様、どうかお体をいたわられてお過ごしくださいね。(byれもん)

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