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自死(自殺)遺族支援のための認定NPO法人グリーフケア・サポートプラザ

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私が今も生きているのは

茶話会に参加されている方から借りた「カラフル・森絵都著・文春文庫」を読み終わったあと、最終頁で2007年9月に1版が出されたことを知りました。
息子を亡くしたのが2006年。
この本が世に出た頃は衝撃的な現実を受け止めることが出来ず、苦しくて苦しくて、どうにもならない時を過ごしていました。あのころの感情がふっと蘇ります。ただあの頃のような激しさではないのです。

自死した少年が生き返るストーリーのこの小説を読んで、一番最初に思ったのは、あの頃に読んだらどんな気持ちになったのだろうとの思い。
辛すぎたかもしれません。息子はこの少年のように生き返ることは出来なかったので・・・。
それでも、長い年月を経た今では、旅立ってしまったことの要因の一つに、あるいはこんなことも人によってはあるのかなあとも思えます。家族や周りの人は相手を思っていて決して見捨てているわけではない。でもその思いがストレートに届かずに少しずつずれ、死を意識する人には孤立感が漂う。

「なぜに」「どうして」あの人が逝ってしまったのか。
誰にもはっきりした理由はわかりませんが、いくつかの想像はできます。

繊細で、我慢強く、しかも自尊心の強い君だったから、いっぱいいっぱいため込んでいたことがあったのかもしれない。ふっと消えたくなった・・・そうなの?君。
その重荷、少しでも、共に背負わせて欲しかった。そして今も生きていてくれたら・・・・。
あの日に限り君は一言も言わず、ふっと消えてしまった・・・。

それは出来ないことだったんだね。
君の最後の行動はそのまま受け止めていきたいと今は思っています。
わからないことは、わからないまま。
それでも時に、残念さと悔いを感じるのは、君への尽きぬ思いであり、祈り、供養でもあるとこの頃は思ってもいます。
年月を経てもなお感じる心の痛みは必ずしも排除するものでもなく、どれほど深く亡き人を思っていたことかを思い出す確認作業でもあるのです。私の場合は。
ちょっと辛いけれど、でも愛しさも伴う大切なことなのです。
私が今も生きているのは君を思い続けるためなのかもしれない。
NPO法人グリーフケア・サポートプラザ 公式ウェブサイト

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