悲しみの中で
こんばんは。なすびです。涼しくなってきましたね。
風邪などひかれていませんか?
深い絶望を味わったからこそ、
感じること、わかることがあるような気がします。
大事な人を亡くした深い悲しみの中に、
新たな芽生えの種が眠っているのかもしれない。
それが何なのかは、ひとりひとり違うでしょうし、
それがいつ芽をだすのかもそれぞれ違うでしょう。
遺された人の多くに共通するのは、
亡くなった人が大事な人であったということ。
だからこそ、喪失から気づくことがあるのかもしれない。
私が少しだけ分かったのは、ひとりひとり心の中の思いは違うということ。
相手の思いをわかることは簡単なことではなく、自分の思い込みの危険があるかもしれないこと。
何も言わず、言えずにじっと耐えている苦しい人がいるのだということ。
私の勝手な「きっと大丈夫」との思い込みがなければ、
亡き人は今も生きていたかもしれない。
そんな痛みを心の奥深くに抱えつつも、
他者を深く理解することはたとえ親子でも、誰にも出来ない無理なこと、人としての限界なのだと、冷静に思ったりもするのです。
自死遺族支援のための NPO法人 グリーフケア・サポートプラザ
NPO法人グリーフケア・サポートプラザ 公式ウェブサイト

にほんブログ村
風邪などひかれていませんか?
深い絶望を味わったからこそ、
感じること、わかることがあるような気がします。
大事な人を亡くした深い悲しみの中に、
新たな芽生えの種が眠っているのかもしれない。
それが何なのかは、ひとりひとり違うでしょうし、
それがいつ芽をだすのかもそれぞれ違うでしょう。
遺された人の多くに共通するのは、
亡くなった人が大事な人であったということ。
だからこそ、喪失から気づくことがあるのかもしれない。
私が少しだけ分かったのは、ひとりひとり心の中の思いは違うということ。
相手の思いをわかることは簡単なことではなく、自分の思い込みの危険があるかもしれないこと。
何も言わず、言えずにじっと耐えている苦しい人がいるのだということ。
私の勝手な「きっと大丈夫」との思い込みがなければ、
亡き人は今も生きていたかもしれない。
そんな痛みを心の奥深くに抱えつつも、
他者を深く理解することはたとえ親子でも、誰にも出来ない無理なこと、人としての限界なのだと、冷静に思ったりもするのです。
自死遺族支援のための NPO法人 グリーフケア・サポートプラザ
NPO法人グリーフケア・サポートプラザ 公式ウェブサイト

にほんブログ村