いま苦しんでいるあなたへ
こんにちは、なすびです。大事な人を亡くして、どんなにか辛い日々をお過ごしでしょう。
「生きるってことは、格闘するくらい、つらいことでもあります。
だけど、格闘するうちに前へ進んでいる。生きるためにもがくうちに、前へ進んでいくのです。」と次男を自死で亡くされたノンフィクション作家の柳田邦男さんはNHKの「100年インタビュー」で語っています。
「自分自身がよりよく生きていく道を探すよりほかはないでしょう。 自分で自分の道を見つける、これくらい大変で、しかもつらいことはない。そのつらさを引き受ける、それこそが人生」と、その後に続きます。
苦しみの中で生きていた頃、とてもこんな辛さを引き受けることなど出来ない、無理だと思っていました。
この苦しみから少しでも早く抜け出したい気持ちとこの痛みの中にいるべき、それが大事な人を亡くした償いだと自分を罰する気持ち。
この二つの相反する思いの中で身動きがとれなくなっていました。
ひたすら耐たり格闘するには、限界があります。
根源的な死生観を見つけられない限り、気をそらすささやかな慰め(癒しやささえ)があることで、人は何とか苦しい日々を凌いでいけるのかもしれません。
ただ一つの「あるべき姿」「理想「」正義」を見つけるよりは、ネガティブな思いもポジティブな思いも、マイナスもプラスも、混在する中で生きることが喪失後の人生を生きることなのかもしれないと、月日が過ぎた今は思います。
ネガティブばかりでは苦しすぎるし、ポジティブな思いばかりでは地に足がついていない心地悪さや現実との違和感が生じる。
グリーフの日々は、大事な人を亡くした痛み、悲しみと、どう付き合っていくかを模索する日々。
どうにも身動きがとれないほど苦しく悲しい時もあれば、少し息ができる穏やかな時も徐々にやってきます。
もっと何か出来たのではないかと自分を責め、悔い、罰する感情の揺れ動き。
その一方で出来なかったことに苦しみ続ける自分をそっと抱きしめ自分の限界を認める柔らかさ、冷静さ。
自分を責めつつも、ほんの少し自分を許す気持ちを持たないと、遺された人も力尽きてしまう。
亡き人は生きていくことを望んでいると、私は思うのです。
遺族が自分を責め続ける「至らなさ」は、特別に悪いことをしたわけではない。誰でも同じ立場にたてば、同じことをしたり言ったりするのだと思います。それは暮らしのなかの一コマ。家族だからこその遠慮のなさ。
まさかその先に、死があるとは誰もわからないのですから。
深い苦しみを味わい、悲しみを抱えつつも「いま生きている」。
「至らなさ」はしっかりと、むしろそれ以上に償っていると私は思うのですが・・・・。
どうでしょう・・・・。
自死遺族支援のための NPO法人 グリーフケア・サポートプラザ
NPO法人グリーフケア・サポートプラザ 公式ウェブサイト

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「生きるってことは、格闘するくらい、つらいことでもあります。
だけど、格闘するうちに前へ進んでいる。生きるためにもがくうちに、前へ進んでいくのです。」と次男を自死で亡くされたノンフィクション作家の柳田邦男さんはNHKの「100年インタビュー」で語っています。
「自分自身がよりよく生きていく道を探すよりほかはないでしょう。 自分で自分の道を見つける、これくらい大変で、しかもつらいことはない。そのつらさを引き受ける、それこそが人生」と、その後に続きます。
苦しみの中で生きていた頃、とてもこんな辛さを引き受けることなど出来ない、無理だと思っていました。
この苦しみから少しでも早く抜け出したい気持ちとこの痛みの中にいるべき、それが大事な人を亡くした償いだと自分を罰する気持ち。
この二つの相反する思いの中で身動きがとれなくなっていました。
ひたすら耐たり格闘するには、限界があります。
根源的な死生観を見つけられない限り、気をそらすささやかな慰め(癒しやささえ)があることで、人は何とか苦しい日々を凌いでいけるのかもしれません。
ただ一つの「あるべき姿」「理想「」正義」を見つけるよりは、ネガティブな思いもポジティブな思いも、マイナスもプラスも、混在する中で生きることが喪失後の人生を生きることなのかもしれないと、月日が過ぎた今は思います。
ネガティブばかりでは苦しすぎるし、ポジティブな思いばかりでは地に足がついていない心地悪さや現実との違和感が生じる。
グリーフの日々は、大事な人を亡くした痛み、悲しみと、どう付き合っていくかを模索する日々。
どうにも身動きがとれないほど苦しく悲しい時もあれば、少し息ができる穏やかな時も徐々にやってきます。
もっと何か出来たのではないかと自分を責め、悔い、罰する感情の揺れ動き。
その一方で出来なかったことに苦しみ続ける自分をそっと抱きしめ自分の限界を認める柔らかさ、冷静さ。
自分を責めつつも、ほんの少し自分を許す気持ちを持たないと、遺された人も力尽きてしまう。
亡き人は生きていくことを望んでいると、私は思うのです。
遺族が自分を責め続ける「至らなさ」は、特別に悪いことをしたわけではない。誰でも同じ立場にたてば、同じことをしたり言ったりするのだと思います。それは暮らしのなかの一コマ。家族だからこその遠慮のなさ。
まさかその先に、死があるとは誰もわからないのですから。
深い苦しみを味わい、悲しみを抱えつつも「いま生きている」。
「至らなさ」はしっかりと、むしろそれ以上に償っていると私は思うのですが・・・・。
どうでしょう・・・・。
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