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自死(自殺)遺族支援のための認定NPO法人グリーフケア・サポートプラザ

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兆し

皆さん、いかがお過ごしでしょうか。れもんです。

からっとしたお天気がこのところ続いていますね。長く思えた日々にも、少しずつ変化の兆しが見え始めてきました。ただ、これからの生活は、ウィルスと
いかに共生しながら過ごしていくかということに重点が置かれるようになりました。広い視野から見れば、ウィルスもひとつの生命であり、自然の摂理においては、人間だけにその生命を特化できません。やはり、うまくお互いの領域を守りながら、共生していくしかないのだと思います。

彼が亡くなって10年目の初夏を迎えます。亡くなった当時、この季節はちょうど49日を迎えていた頃でしょうか。亡くなって1年目は懸命に気を張って日々を過ごしていました。当時は、気を張っていたという自覚はなかったのですが、今思うと、普通に何かをするだけでも、気を張らなければいけない状態だったと思います。

2年目のこの時期、その反動がきたのか、ひんぱんに眩暈を起こすようになりました。いつもは効く頭痛薬を飲んでも収まらない。しばらく横になっても眩暈がする。眩暈はいつ起こるかわからず、一度遠出をしたときに襲われ、帰宅するのが本当に大変で、外出すらためらわれるようになりました。

病院でCTやMRI検査までしてもらったけれども、脳にも中耳にも異常がありませんでした。結局、神経内科に回され、無理をしすぎたのでしょう、とのこと。何か自分に課すようなことをしてませんか?そういうことはすべてやめて、自分を解放してあげましょうよ、と若い歯切れのよい女医さんから忠告されました。彼の死に責任を感じていた私は、自分を酷使していたことに、言われて初めて気づきました。体の異変は、無理をしているというサインだと思います。でも、それは決して悪くなっているのではなく、よくなりつつある兆しだと思うのです。

時間が過ぎると罪責感に苦しむ回数はかなり減ってきます。ただ、それでも時折、自分のいたらなさを痛感する。先日、仏壇の前で手を合わせならが、そういう思いがふとよぎったとき、思わず、「重たいよ」という彼の声が聞こえてきました。私が抱く罪責感は、彼にとっても重たいものなのだと、初めて実感しました。私のいたらなさは私自身の問題。それをもうこんなに年数が経ってまで、自分にもってこないでよ、と彼が言っているような気がしました。

皆さま、少しでもご自分をいたわられますよう。
NPO法人 グリーフケア・サポートプラザ
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