時は流れて その3
「なにが失われるかということよりも、むしろなにが続いていくのか」ということが、喪の道を歩く者には大事な焦点であると、何かで読んだことがあります。
失った子を、何かの中に見つけようと必死に探し続けていた日々。メジロと出会ったのはそのような時でした。
かつてのように、なにかの中に故人を見出だす繊細さ、必死さは残念ですが今は消えてしまいました。
代わりに亡き人は、想像もつかない彼方や、そしてまた時に私の心のなかにも存在しているような感覚。
その時々で違います。
会えなくなったのは悲しいけれど、出会えたことの感謝で満たされてもいます。
この先どんな自分に変わっていくのでしょうか?
亡き人とのつながりはどのように変わっていくのでしょうか?
その時どきのあるがままの自分を受けいれて生きていければと願っています。(by なすび)
NPO法人 グリーフケア・サポートプラザ
NPO法人グリーフケア・サポートプラザ 公式ウェブサイト

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失った子を、何かの中に見つけようと必死に探し続けていた日々。メジロと出会ったのはそのような時でした。
かつてのように、なにかの中に故人を見出だす繊細さ、必死さは残念ですが今は消えてしまいました。
代わりに亡き人は、想像もつかない彼方や、そしてまた時に私の心のなかにも存在しているような感覚。
その時々で違います。
会えなくなったのは悲しいけれど、出会えたことの感謝で満たされてもいます。
この先どんな自分に変わっていくのでしょうか?
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