さりながら
溺愛していた愛娘さとの死を受け入れられない気持ちを、一茶は飾ることなく素直に詠みました。
「露の世は露の世ながらさりながら 一茶」
私たちが生きているこの世は、草木の葉の上に早朝に存在する露のように、たちまち消えていく儚いものである。
そのことは重々承知はしている。けれども、それでも娘の死は辛い。
長い年月を経た今の私は、当初のようなどん底状態ではありませんし、
哀しくても、寂しくても、出来ることはいろいろあります。
笑うことも、おいしいものを美味しいと感じていただく喜びも戻っています。
でもだから、大丈夫と言うほど単純な「その後」でもありません。
一茶の「さりながら」の心境同様、
さりながら、やはり悲しい。さりながら、やはり寂しい。さりながら、やはりあきらめきれない。
大切な人との別れ、特にもしかしたら助けることが出来たのかもしれないとの思いに駆られる自死の場合、遺族の無念さは心の中でいつまでもくすぶり続けるように感じます。
でも悲しみに溺れたくはないとも思えるようにはなりました。
亡き人が喜ぶことは何なのか?、心に問うて生きています。
亡き人とのつながりが生前よりも深まることを感じることで、私は何とかその後を生きてこられたのかもしれません。
たとえ消えない傷、痛みを抱えつつも、「さりながら」、生きる、
いのちがどれほどにかけがえのないものかを、身に染みて嚙みしめた者のその後を生きる大事な意識と決意。(by なすび)
NPO法人グリーフケア・サポートプラザ 公式ウェブサイト

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「露の世は露の世ながらさりながら 一茶」
私たちが生きているこの世は、草木の葉の上に早朝に存在する露のように、たちまち消えていく儚いものである。
そのことは重々承知はしている。けれども、それでも娘の死は辛い。
長い年月を経た今の私は、当初のようなどん底状態ではありませんし、
哀しくても、寂しくても、出来ることはいろいろあります。
笑うことも、おいしいものを美味しいと感じていただく喜びも戻っています。
でもだから、大丈夫と言うほど単純な「その後」でもありません。
一茶の「さりながら」の心境同様、
さりながら、やはり悲しい。さりながら、やはり寂しい。さりながら、やはりあきらめきれない。
大切な人との別れ、特にもしかしたら助けることが出来たのかもしれないとの思いに駆られる自死の場合、遺族の無念さは心の中でいつまでもくすぶり続けるように感じます。
でも悲しみに溺れたくはないとも思えるようにはなりました。
亡き人が喜ぶことは何なのか?、心に問うて生きています。
亡き人とのつながりが生前よりも深まることを感じることで、私は何とかその後を生きてこられたのかもしれません。
たとえ消えない傷、痛みを抱えつつも、「さりながら」、生きる、
いのちがどれほどにかけがえのないものかを、身に染みて嚙みしめた者のその後を生きる大事な意識と決意。(by なすび)
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