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自死(自殺)遺族支援のための認定NPO法人グリーフケア・サポートプラザ

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たとえ傷に支配されても

梨木香歩著の「裏庭」に登場する2人目のおばばは、主人公の女の子に「傷はその人間の関心を独り占めする。傷がその人間を支配してしまうのだ。本当に癒そうと思うなら、決して傷に自分自身を支配させてはならぬ」と忠告します。
泣いても、わめいても、怒っても恨んでも、嘆いてもいい。でも、その傷だけに関心が向かないよう、傷に支配されない自分も必要だと言うことでしょうか。

あの子を亡くした当初、「自分のせいなのではないか」との自責感が強く、自分を癒そうとの気持ちは全くなかった。自分への強い怒りと、無念さで心の中は嵐のよう。温かな春の日も爽やかな秋の日とも無縁な荒野にぽつんと一人で佇んでいるような気持ちでした。
大嵐の夜、土砂降りの日だけは気持ちが落ち着きました。

それでも何とか嵐の日々を乗り越えることが出来たきっかけは、ある日ふと幻のように、あの子の笑顔と声が浮かんだのです。
幻のあの子は怒り顔ではなく笑顔で優しく「ママ」と呼んでくれたように感じて、喪失の悲しみ・苦しみは、出会いの喜びがあったからこそなのだと気づきました。

人に威張れるほどの立派な親ではありませんが、生まれてから亡くなるまでのすべての期間でめちゃくちゃなひどい親だったわけでもない。あの子に親として出来たこともあるけれど、出来なかったこともある。
自責感でがんじがらめの心にそよ風が通り抜けました。
生きる意味と自尊心を失い、うずくまるしかなくなった自分へのエールが少しずつ聞こえてくるようにもなりました。
私の場合それは3年近くかかりましたが・・。

ふと死にたくなる気持ちに半年前から苦しんでいたあの子が何とか生きて抜いてくれることをひたすら願っていました。
あの子も生きなければ、生きたい、と思いながらも、あの瞬間どうにもならなくなって死を選んだのでしょう。
自死する人と遺される者、どちらもが望まなくても、自死に至ることもあるのではないでしょうか。

激しい絶望の中では、人はうずくまることしか出来ないでしょう。
でも不思議なことですが、自分を労わる気持ちがいつか湧いてくるのです。
親としての自分は癒しを望まなくても、生物としての自分が絶望のどん底に達したとき、生きることを後押しするのでしょうか。
傷が深いときは、そっとご自分を抱きしめて何とか苦しい期間を凌いでくださいますように。いつかきっと、深く深呼吸出来る日はやってきます。
海でおぼれた時、頑張ってもがけばもがくほど、沈んでいきます。そんな時は、波に揺られて浮いているのが一番とか。
グリーフも無理せず、焦らず、頑張らず、大波に足をすくわれそうになった時は、そのまましばらく波が過ぎるのを待つのも一つの在り方かもしれないですね。(by なすび)
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